妻有百三十三番霊場
この霊場は江戸時代にあたる元禄四(1691)年に制定されたものです。範囲は十日町市・津南町に加え、小千谷市の一部にまでわたっています。このかなり限定された地域に百三十三(現在は百三十四)もの霊場があるのですが、現在では巡礼されることはもちろん、地元の人以外には存在すらあまり知られていない状況です。
この霊場はもともとあった四つの霊場をひとつにまとめたものになっています。美佐嶋三十四番・倉俣三十三番・大井平三十三番・吉田三十三番の計百三十三番。現在では戦後に十日町市の神宮寺さまが欠番として百三十四番目の霊場に加えられています。そしてすべての霊場には御詠歌(和歌)があります。
「曹洞宗青年僧侶による妻有百三十三番霊場紀行」より抜粋
第七番 聖観世音菩薩
むらさきの
雲に仏の来迎寺
参る心は 浄土なるらん
第十一番 如意輪観音菩薩
大池(おいけ)なる
蓮(はちす)の花に置露は
さながら玉の 光なりけり
大池より移し、現在来迎寺に安置されております。